社団法人 長崎市薬剤師会

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活動と沿革

長崎における薬剤師会の設立と活動
(社)長崎市薬剤師会 顧問 永田 修一


 2004年(平成16年)国会において学校教育法および薬剤師法が改正されました。それにともなって2006年(平成18年)4月より、質の高い薬物療法を行うことのできる実践的な能力を持った薬剤師の育成を目的とする薬剤師教育は修業年限が4年から6年に延長されました。
 この抜本的な教育制度の見直しの大きな特徴である病院や薬局における6ヶ月(各10単位)の実務実習に対応するために、日本薬学会、日本薬剤師会、日本病院薬剤師会等が中心となり、CBTやOSCE、受け入れ体制の整備に全力で取り組んでいるのが現状です。
 その他にも医療制度抜本改革、医薬品販売や麻薬取り扱い等の薬事法改正、医療安全対策、調剤を行う薬局が"医療提供施設"になる等、今後の薬剤師の将来に大きな影響を及ぼすと思われる制度改革が行われています。
 先の国会において、改正学校教育法、改正地方教育行政法、改正教員免許法からなる"教育改革3法"が成立した事も薬剤師免許更新制の議論に少なからぬ影響があるものと考えられます。
 この大きな改革に対応するために薬剤師会も全力をあげて対応しているところです。
 長崎県薬剤師会は9支部と県、市行政、病薬、大学の正会員1341名、会員薬局670の社団法人として活動しています。
 その活動の中心となる長崎市薬剤師会は池口慶三博士により、明治23年11月に設立されたものです。
 長崎市にある国内最古の医学部である長崎大学医学部はオランダ海軍二等軍医としてヤパン号(後に咸臨丸と改名)で第二次海軍教育班37名の一人として来日したポンペ・ファン・メーデルフォールト(Johannes Lydius Cathrinus Pompe van Meerdervoort)が西役所において松本良順とその弟子達12名に医学伝習を開始した1857年11月12日を建学としている。
 1861年9月20日には医学校(医学所)に付置された養生所(後に精得館、長崎医学校、第5高等中学校医学部)として日本で最初の124ベッドを持った近代西洋医学教育病院が完成し、松本良順が頭取、ポンペは教頭として多くの医学生に教育を行った。
 ポンペの教え子には後に江戸の医学所頭取となった松本良順を始め東京大学医学部の前身大学東校を主宰した佐藤尚中、ドイツ医学を導入した岩佐純、大阪医学校を開設した緒方惟準、上野彦馬、日本における衛生医療行政を創始した長与専斎らがいる。
 1866年長井長義は上野彦馬の写真館で写真技術を習い助手を務めている。
 長崎医学校は改称を経て第5高等中学校医学部となり1890年薬学科が併設されて長崎大学薬学部の創立となっています。
 同年11月初代薬学部長である池口慶三博士が中心となり長崎薬剤師会が設立され今日に至っている。